其の八百弐拾一
怪しい親爺輪っぱの会 別館 一人歩き編です。
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撮影日 2010年11月13日 日曜日 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
四国の帰りに、瀬戸内の気になる所を…
瀬戸内ファンクラブ!な私! 下津井は天然の良港に恵まれ古くから「風待ち・潮待ちの湊」で、 奈良時代・平安時代の文献に記されている。 江戸時代から明治時代にかけては北前船の寄港地として栄え、 金毘羅参りと瑜伽(ゆか)参りの「対参り」で栄えた下津井。 江戸時代の中ごろ、庶民の間に信仰の旅のブームが起こった。 その時、「金毘羅参りは瑜伽参り、片参りはご利益半分」と金毘羅参りと瑜伽参りをセットにした「対参り」が流行し、 下津井はその両方をつなぐ港として繁盛した。 下津井の町を歩くと「杓井戸」「寺井戸」「鶴井戸」「亀井戸」が
町並みの中で出会う。 井戸の近くに必ず石祠を設けて水神を祀ってある。 井戸の周りには広い空間を設け、 敷石を並べ勾配をつけて清潔に保たれている。 下津井の共同井戸群である。 港町では水は貴重品である。海辺の井戸は塩分が多い。 魚や野菜の下ごしらえ、洗い物、掃除用にしか使えない。 しかし、下津井では鷲羽山、天王山、城山などの麓に点々と共同井戸が連なり、良質の水がコンコンと湧き出ている。 下津井沖を航行した船は、この水を求めて寄港した。 御座船をはじめ朝鮮通信使の船列、北前船、金毘羅船も ここの水を求めて寄航した。 (※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)
袖すり合うも他生の縁~
いつまで知った景色があるのやら。。
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