古/いにしえの面影       其の八百拾七

怪しい親爺輪っぱの会 別館 一人歩き編です。

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

 撮影日  2010年11月13日 日曜日
岡山県倉敷市下津井吹上(四柱神社)

四国の帰りに、瀬戸内の気になる所を…
瀬戸内ファンクラブ!な私!
下津井は天然の良港に恵まれ古くから「風待ち・潮待ちの湊」で、
奈良時代・平安時代の文献に記されている。
江戸時代から明治時代にかけては北前船の寄港地として栄え、
金比羅参りの渡し場としても賑わった。

下津井の由来は「吉備児島の下の津」
かつての中心であった郷内地区からもっとも下に位置する港の意味であると云われている。
また、この地域が下津井と呼ばれるようになったのは江戸時代末期である。
かつてこの一帯は「長浜」と呼ばれ、
「下津井」・「吹上」・「田ノ浦」に「大畠」を加え「四つの浦」という総称もあった。
下津井港の繁栄の主因は、背後に児島湾から福田や連島に及ぶ広大な干拓地 があり、
干拓地に適したワタ栽培の肥料として大量に必要とされたニシン粕の 供給地であったことによります。
これによってワタが加工され、反物・衣服・ 帯・紐・足袋などの製品になりました。
つまり、北前船の寄港が児島の現在の 繊維産業発展に繋がることにもなったのです。

(下津井の話HPより)

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)


下津井吹上の旧メインルート
なまこ壁のニシン蔵、奥に大橋~
手前の電柱はKさんなら
どのように描かれるか楽しみな路地です。

※荻野美術館さん
横の路地入って。
美術館休みでした。。
 江戸中期に倉庫業、金融業で豪商と成った荻野家。
明治になり、元荻野(本家)、東荻野、西荻野、花荻野の4つに 分家しました。
この東荻野が、現在の荻野美術館に繋がります。

(下津井の話HPより)

観音寺さん見上げながら~

※瑜伽山参道

吹上の路地に潜ります。
蔵と本瓦が目に付きます。



見返れば~
往時の賑わいが見えそうな~

※今は、ひっそりと~

微かに磯の香も~

伏見稲荷大明神
全国廻船の証

鰊倉

※浜へは一直線!

散髪屋さん
携帯電話で、呼び出しなんですね。

※石畳材料

どちら向いても
私の好きな風景



藤の花が有名なんでしょうか?

海鼠壁…

※茅の輪?
呪いでしょうか?

格子の中に日常~

※先程の稲荷社が突き当たりに…

綺麗な海鼠壁

※え?売り切れ…

この空間も好きです。

水路も石を被せて~
向かいは虫籠窓

※呪いでしょうか?

四柱神社
約20mの高さの石段

※途中、山門のような拝殿から~

摂津国住吉大社から
承平年間(931~938)に勧進された。
航海安全の神様

※階段下の広場

稲荷社

※観音寺さんと同じ高さ。

摂社

※拝殿社
飾り瓦が見事!

紀伊国屋利右衛門(?)銘の石燈籠
家紋がよく分からない~

※小さいけれど重厚な感じの
本殿社は岩の上
磐座?

此処からも
瀬戸大橋と田ノ浦の港が一望~

※櫃石島も~

土台が岩

※天保期の玉垣

結構な傾斜の石段

※弘化四年の手水鉢

途中の稲荷社

※マンリョウ
真っ赤!

吹上会館

※家屋の背中は山が迫っています。

隅友~住友(?)
玉垣銘

※消防団倉庫も
袖すり合うも他生の縁~
いつまで知った景色があるのやら。。
頑張ってボチボチ更新中…^^;
古の人の息吹を感じながら~
ページトップへ戻る
Copyright c 2003 Office Young Moon. All Rights Reserved.