古/いにしえの面影       其の八百拾参

怪しい親爺輪っぱの会 別館 一人歩き編です。

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

 撮影日  2010年11月13日 日曜日
岡山県倉敷市下津井(下津井港)

四国の帰りに、瀬戸内の気になる所を…
瀬戸内ファンクラブ!な私!
下津井は天然の良港に恵まれ古くから「風待ち・潮待ちの湊」で、
奈良時代・平安時代の文献に記されている。
江戸時代から明治時代にかけては北前船の寄港地として栄え、
金比羅参りの渡し場としても賑わった。

下津井の由来は「吉備児島の下の津」
、かつての中心であった郷内地区からもっとも下に位置する港の意味であると云われている。
また、この地域が下津井と呼ばれるようになったのは江戸時代末期である。
かつてこの一帯は「長浜」と呼ばれ、
「下津井」・「吹上」・「田ノ浦」に「大畠」を加え「四つの浦」という総称もあった。

(Wikipediaより)

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)


フェリーも入った港

※雁木も~

建物の向こうが元の駅

※beat休憩中~

此の船が
千石船なら~
ワクワクしませんか?



現代の千石船は遥か沖を通り、この港には寄りません。

ええ街が其のままタイムカプセルで今に来たような
港町路地が大好きです!

トラック輸送全盛、フェリーも次々と廃業の現在。

※北前船や安治川で拘りのある河村瑞賢さんは、
この景色を見て、どう思われるのでしょうね?

新しい蛸壺



関西急行フェリー看板
小豆島へは是非に!

※雁木

港脇の墓地に
嘉永元年(1848)
和田屋銘魚供養塔

寛政期の權少僧都如蔵
ごんの しょうそうづ
権少僧都?

※大きな墓地です。

昔からの古い墓が多い~

※草生した~

六地蔵様?

※N 中
ホーンが鳴って、
沖には大きな船~
狭い海峡で、漁船などに行き違いの注意を!

造船所~

※下津井の街道

恵比須大黒
豊穣の神々

※浜際に~

下津井の大きな家屋
海鼠壁が目立ちます。
手前の空き地にも
大きな家屋があったのでは?

※山際にも路地が続きます。

千本格子
本瓦長屋門

※石を加工した碇
前にも

2重の軒が、お洒落です。
下は飾瓦

※門も~

唐臼

※此処に路地が在ったんですね。
おかげで見られました!

此のアングルは見られなかったでしょうね。



右 岡山・玉島道
左 木里社道
道標は残されて~

※中にも日常が~

壁には飾瓦も残されて~
勝手口、石橋も。。

空き地に
もし家があれば
暗い路地だったでしょうね。

※入りたい衝動~

残ってや!

※奥は保育園

丸型ポストは当たり前!

※街のメインストリート

円福寺さん

※第34番
金毘羅参りと瑜伽(ゆか)参りの「対参り」で栄えた下津井
 江戸時代の中ごろ、庶民の間に信仰の旅のブームが起こった。
その時、「金毘羅参りは瑜伽参り、片参りはご利益半分」と
金毘羅参りと瑜伽参りをセットにした「対参り」が流行した。
下津井はその両方をつなぐ港として繁盛した。


狭い道路
昭和の中頃までは
此の道路がメインストリートだったと…
軽自動車でも行き違いがシンドかったと。。。

※背高電柱が~

祇園神社下

※階段に物資ケーブルが…
袖すり合うも他生の縁~
いつまで知った景色があるのやら。。
頑張ってボチボチ更新中…^^;
古の人の息吹を感じながら~
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