古/いにしえの面影       其の八百六

怪しい親爺輪っぱの会 別館 一人歩き編です。

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 撮影日  2010年11月12日 土曜日
徳島県鳴門市大麻町大谷(窯元街中)

えいや~!海外(四国)に飛びます~^^;

大谷焼(おおたにやき)は徳島県鳴門市の大谷地区で作られる陶器である。
江戸時代後期、安永9年(1780年)に、四国八十八カ所霊場の巡礼に来た豊後の国(大分県)の
焼き物細工師・文右衛門が、ここ大谷村において、蟹ヶ谷の赤土で作ったのが大谷焼の起源と伝えられています。

寝轆轤と呼ばれる独特の轆轤を用いて制作される大甕で知られる。
寝轆轤は相手が寝ながら足を用いて回す仕掛けで
基本的に大甕作りは二人の呼吸が合っていないと作れない。
なお、この大甕は阿波地方の特産である藍染めに欠かせない道具であり、藍甕と呼ばれる。

大谷焼は元々、染付磁器が焼かれていた。
だが、経営悪化で廃窯となり、これを藍商人であった賀屋文五郎らの手によって再興、
信楽の陶工の協力もあって藍染の需要に見合った大甕を焼くことになったのである。
明治に入ると化学染料の開発、生活様式の変化に伴い、藍甕の需要は激減、不振に陥った。
それでも脈々と大甕作りは続けられ、今日に至っている。
また、現在は壺、皿、徳利、片口、茶器などといった小物を焼いている窯も見られる。
大谷焼窯まつりは、毎年11月の第2土曜、日曜で
絵付け教室や作品展、陶器の展示即売会が開催される。
(Wikipediaより)

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窯元街には
煉瓦煙突が似合います。
センダンの実が黄色く~

※タイヤ製オブジェです~
蛇ですね。。

本瓦に板壁家屋

※秋色満載!ですね。

窯垣ですかね?
前にも瀬戸で~
京都でも

※ありゃ~行き止まり。

工房~工場??

※瓶の壁?
前にも~

工房~

※陶材…

山と川での
よくある景色なんですが~

※煉瓦煙突がランドタワー

陶材

※工房

ミルク色の空に~
皇帝ダリアが満開!

※宮の元辺りの路地

太陽は御覧の通り~



大谷川

※街ニャンコ~

大谷川渡ります



山裾の工房裏の森が気になります。

※葛城神社さん

小さな神社なんですが~
この辺りには此の名の神社が多いんですわ。

葛城神社御祭神一言主大神様は、第22代雄略天皇の御代、天皇が大和国葛城山に御遊猟し給う時、
天皇と御容姿が相似たる神が現れ「私は悪事も一言、善事も一言にて言放つ言離神、
葛城一言主神なり」と御名乗る、その後39代天智天皇九州に御巡幸された時、
天皇に随行され阿波を御通過の折、粟田の沖にしばし御逗留し、この浜に上陸され、
渓谷にすむ鯉鮒の釣りの御慰みに御乗馬にて進みなされる途中、
藤葛にて馬がつまづき神は落馬され呉竹の切株にて御眼を傷つけ眼病と成られ、
その為神は天皇の御伴が出来ず永く粟田にて御養生され、この地の守護神として御自身眼病の苦しみを忘れる事なく、
眼病の者を特に憐れみ給い、お救いなれされるとの御誓願により粟田、大浦、宿毛谷、鳥ヶ丸の四ヶ村には馬を飼わず、
呉竹と藤葛の生える事なく、鯉鮒育つことのないという不思議なる霊験により現在までもその煌々とした
御霊徳のおかげを被る者枚挙に限りなく、神を仰ぎ奉る善男善女は願望成就すること広く知られる通りであります。

分祀されたんでしょうね。

※本殿舎

葛城神社古墳
横穴式古墳で、もう一つ此の岡には竪穴式古墳跡がある。



窯元さんと背中合わせ…

※多くの藍瓶

長いトタン屋根工房~
前にも

※あれだけの大物なら
ユンボも使って土作り
此のシリーズを20100915に大往生した
白寿の幸雄ジイヤンに捧げます。
袖すり合うも他生の縁~
いつまで知った景色があるのやら。。
頑張ってボチボチ更新中…^^;
古の人の息吹を感じながら~
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